♯T 一枚の絵

大草原が広がっていた。
ただ平らでそこには何もない。まるで緑の海が凪いでいるようだった。
大草原の真ん中で、地平線にぽつりと、小さな建物があった。
なだらかな三角の屋根を持ち、二階建てのようだ。上と下に大きな窓がある。
建物の外装は、上から下まで鮮やかな蒼色に塗られていた。

ナヴィは、いつも通り一人で起きた。
夜明けの新鮮な光が、窓を覆う水浅葱のカーテンの隙間からこぼれ出ていた。十代半ばの端正な顔に太陽の光を浴びて、眼をうっすらと開けた。
「んー・・・。」
両目をこする。その大きな瞳の色は、アザーブルー。
上半身だけを起こし、大きく伸びをする。
「おはよ。クララ。」
そして隣にいる白い子犬のぬいぐるみを抱きしめ、挨拶をする
体調は良好。感覚、脳波、システムにも全く以上はなし。
ナヴィは、ベッドから起きあがり、身体を入念にストレッチした。徐々に重い身体に活力が沸いてくる。
「ふー。」
身体を動かした後、汗を拭いて着替えた。胸元を開けたベビーブルーのシャツの上に、ミッドナイトブルーのジャケット。下は、シャツと同じ色のパンツ。
銀色の綺麗な長い髪を、紺色の紐でポニーテールに束ねる。
カーテンを静かに開けた。まぶしい日の光が部屋に降り注いだ。
最後に窓辺にいる鮮やかな緑色をした小さなカクタス(参考・他の国ではサボテンと呼ばれる)に顔を近づけ、そいつを起こした。
「おはよう。ソロ。」
「・・ふわぁぁ、おはようナヴィ。」
ソロと呼ばれたカクタスの柔らかい刺が、光に反射した。

ナヴィは、一階に降りた。
そこに広がっていたのは、小さな店内だった。
四角い木のテーブルが三つ並べられ、椅子はそれぞれ四つ。店の主な色は、清潔な白だった。
「お客さん来ないのに、こんなにいらないんじゃないの?」
ソロが言った。ナヴィは苦笑しながら、
「かもしれないね。でもまぁいいでしょ?あんまりどかすと、がらーんとしてて、余計に空しくなっちゃう。」
天井にはプロペラが速いとも遅いともつかないスピードで回っていた。
「なるほど。」
店の左側には、カウンターがあり、裏はキッチンになっていた。ナヴィはソロをカウンターに置いた。
ナヴィは、冷蔵庫にあった卵二つをスクランブルエッグにし、トーストと一緒に食べた。
トーストが、少しこげていたので苦かった。まぁ味覚回路には以上はないということだ。

床をモップで掃除し終えた後、ナヴィは外に出た。
ナヴィは空を見た。澄み切った青い空に、ちぎれた細長い雲がゆっくりゆっくり風の方向へ流れている。
そして蒼い店のドアに、ナヴィは、『開店中』と書かれた立て札を掛けた。
一階と二階の境目に、看板があった。
『カフェ・スカイブルー』

「誰も来ないね。まぁいつものことだけど。」
ソロが、退屈そうに言った。
「そうだね。まぁいつものことじゃん。」
ナヴィが、淡々と言った。カウンターで、皿を洗っている。
「ナヴィ。店長が、そんなこと言ってたらだめじゃんか。やっぱりだめだよ。こんなところにお店なんてあったって、お客さん来ないよ。」
店のまわりには何もない。あるとすれば、裏に川があり、西に森があり、東に湖がある。
あとは、隣に物干し台。
もしどこかの国に行こうとしてもそのどこかの国に行くには、乗り物にもよるが、少なくとも空を飛ばないものは、数十日はかかる。
「お客さんは来てるよ、ソロ。ただ七十日から百日に一度くらいだけど。」
「あのさナヴィ・・それって来ないのと一緒だよ。」
「それに、私は別にお金儲けのためにお店をやってるんじゃないのよ。」
あれよあれよと、慣れた手つきで皿とコップを洗い終え、並べられていた。
全て洗い終えた後、今度は自分の手を洗う。
ソロはため息をついて、
「ああ、そうですか。でも奇跡だよね。こんな壊滅的なお店なのに生きていけるのがさ。」
「まぁ別に、野菜も栽培してるし、釣りも狩りも出来るからね。それなりに。それなりにね。」
よいしょっとカウンターに座った。
「お客さん、今日来ると思う?」
「さぁね。」
ソロが答えた。

開店ニ〇五三日目 晴れ

ソロが、さぁね、と答え、はたしてお客さんは誰も来なかった。
とってもいいお天気だったので、洗濯物を干した。洗濯物も喜んでくれるだろう。
お昼ご飯を食べた後、私はソロと一緒に、草原を散歩した。
私は数十分歩いた後、適当なところに座って、持ってきたスケッチブックを開けた。隣には、ソロと、色鉛筆。
綺麗な青い空を書いた。今日は何色もの青を使い、微妙な空のグラデーションを描いた。
わりと成功かな。
「凝り性だね、ナヴィは。」
ソロが言った。
「暇だからね。」
私は答えた。
そうそう。私の座っていたところの近くに、花が咲いていた。黄色い花びらの、小さい花だった。これも描くことにした。
私は、ソロを花の横において、ツーショットで描いた。
「かわいいね。カップルみたい。」
私が言うと、ソロは、少し馬鹿にしたように、
「そんなわけないじゃんか。」
と、言った。まぁどうだっていいけどさ。
ソロの緑色が上手く出せなかった。花の色が上手く出せただけにちょっと残念。

開店ニ〇五四目 晴れ

今日もやっぱりお客さんは来なかった。
久しぶりに今日は自分の身体のメンテナンスをした。
何処にも以上は無かった。よしよし、感度良好だ。
洗濯物は、十二分に乾いていた。
お昼ご飯は、野菜炒めを食べた。だいぶ前に来たお客さんに貰ったジャガイモを入れてみた。
細く切ったんだけど、これがしゃきっとしていて、なかなかおいしかった。育ちやすいのでこれはいい。
追記:一度に分解するのは良くない。危うく腕のパーツが組み上がらないところだった。

次の日の午後。つまり開店ニ〇五五日目の午後。

ナヴィがカウンターテーブルを拭いていると、カランとドアの開く音がした。
お客さんが来たのだ。
「いらっしゃいませ!」
「わぉ、久しぶりのお客さん。いらっしゃい。」
ナヴィとソロが、歓迎した。
ドアを開けたのは一人の若い人間の男だった。人間は、驚いたような顔をした。
「うわ・・。地平線にぽつんとあった時は、びっくりしたよ。こんなところにお店があるなんて。」
「ええ。どうぞお座りください。」
一人の若い人間の男は、三つあるうちの真ん中のテーブルに座った。
ナヴィは、お茶とメニューを一人の若い人間の男に差し出した。
一人の若い人間の男は、少し悩んだ後、
「ハムサンドイッチ、出来ます?」
「はい、わかりました!」
ナヴィは、笑顔で応えた。すぐにカウンターに向かい調理を始めた。
「ねー、お客さん、珍しいね。こんなところに来るなんて。旅人さん?それとも商人さん?」
ソロが訊いた。
「旅人さ。といってもそんなにいろんな国を見てきたわけじゃないけど。」
「じゃ、ビギナーなんだ。」
「そうだね。」
一人の若いの人間の男は、出されたお茶を飲んだ。
「変わった味だね。」
「玄米茶っていうんですよ。お米のお茶。」
ナヴィが分厚いパンを焼きながら言った。
パンを軽く焼いた後、ナヴィはパンの耳を切った。それから一枚のパンの上に、ハム、チーズ、レタス、スパイスとのせる。その上にもう一枚パンをのせて、それを対角線上にザクッと切った。それを二セット作った縁が淡い青色の皿にそれを盛り付けして完成した。
「どうぞ。」
「ありがとう。」
一人の若い人間の男が、最初は不思議そうに見て、それから一つ、豪快にかじった。
「おいしい。」

「ごちそうさま。意外においしかったよ。」
満足そうに一人の若い人間の男は言った。
「それは、普通のお店に比べて不味いってことだけど、こんなとこにあるからまぁいいやってことですか?」
おどけたようにナヴィは言った。慌てて一人の若い人間の男が、釈明するように言う。
「いや、そんなことないよ。普通のお店の比べてもおいしい。」
「ふふ。ありがとうございます。」
「おいしくっても、全然来ないけどねー。」
ぼそっとソロが言った。ナヴィは無視した。
「ところで、ここのお店にはルールがあります。ここでは、代金は決まっていません。
お客さんがしてくださる『おもしろいお話』によってお金を決めさせていただきます。」
「おもしろい話?」
「ええ。なんでもいいです。どんなお話でも構いません。思い浮かばなくても結構です。
料金は高くなりますが。」
「そうか・・。まぁこんなところにお店があること自体、面白い事だけど。」
「それですか?」
「いや、なにかじゃあ考えてみるよ。」
一人の若い人間の男は、考えだした。それからしばらくして話を切り出す。
「じゃあ、これはどうだろう。」

「どうぞ。」
「スタンバイおっけー。」
ナヴィとソロが促した。
そして一人の若い人間の男は、言う。
「・・僕が、学生の頃。まだ一人暮しを始めたばかりだったんだけど、そんな時にバザーで、一枚の絵を買ったんだ。」
「ふんふん。」
「どんな絵ですか?」
「なんでもない絵さ。何か落ち葉拾いのような事をしている女性の絵。本当に・・本当になんでもない絵だったんだ。僕は、まぁ飾りっ気があるほうがいいだろうとおもって
買っただけでね。お金もそうたいしたことは無かった。」
一人の若い人間の男は、お茶を飲んだ。少し冷めていた。
「それから一週間くらい経った頃だった。友達が、僕の家に遊びに来た。そのときに友達が僕のその絵をみて仰天したんだ。何でだと思う?」
「その絵が実は自分の描いた絵だったとか?」
ソロが言ってみた。一人の若い人間の男は、にやりとして、
「違う。実はね。その絵は、かの有名な画家の絵だったそうなんだ。友達は、絵に詳しかったんでその事を知っているらしい。もう彼の驚きようは凄かった。口から泡を吹きながら、言葉にならない言葉を叫んでいたからね。でも僕にはよくわからなかった。普通の、なんでもない絵だと思っていた」
「その絵はどうなさったんですか?」
「そのあと、友達の薦めで、オークションの品として売り出したんだ。」
一人の若い人間の男は、お茶を飲んだ。お茶は、無くなった。
「すごい。本当にすごいオークションだった。僕も生で見ていたけど、あんな騒然としたオークションは見た事が無かった。みんな、美術館の人だとか、大富豪のお偉い方とかいろいろいたけど、全員が全員、なんというか・・殺気立っていた。よっぽど有名な人だったんだろうね、その画家。次から次へと、ゼロの個数が増えていって、そのうちやっと決められた。」
そのゼロの個数を言った。ナヴィもソロも喫驚した。
「このお店、余裕で買えるね。」
「うん・・百店以上は楽に買えるよ。」
「でもそれからが大変だったんだ。実は、そのとき国長もオークションに参加していたんだけど、落札したのは別の富豪だったんだ。国長がなんか、ものすごく怒って、しまいにもめ合いになってしまった。次々とその隙を付いて、絵を取ろうとした人も出てきて、その人達がまたまたもめて・・。オークションは大乱闘になった。」
「うわぁ、おそろしい。」
「誰もが誰かを罵っていた。汚い言葉でね。びっくりしたよ、国長が『偉大なる俺様は国長だぞ!お前ら××は、黙って俺様に従えばいいんだ、この××!××で××な奴らにこのようなすばらしい絵に手を触れるなぁ!』とかなんとか言って隣の人を殴りつけるなんて。結局、オークションは、血祭りごとで終わってしまった。お金は、支払われずだった。この話は、新聞でも大騒ぎになって、国長は辞めさせられた。メディアでは大流行になったよ。僕の名前も載っていて一躍有名になった。」
「いい意味ですか?悪い意味ですか?」
「どっちもさ。偉大なる絵の発見者。騒ぎを起こした火付け役。とかね。」
肩をすくめた。
「で、その絵は、仕方がないから貧しい教会に寄付したんだ。僕のところにあったってしょうがないし、何だかそれがひどく憎くなった。教会になんか寄付して英雄気取りもしたくなかったけど。まぁ押し付けみたいなもんさ。だけど――。」
「だけど?」
一人の若い人間の男は、急に目を見開いた。

「僕は愕然としたよ!なんと!なんとそこには、僕のその絵と、全く同じ絵が飾られてあったんだ!僕は、興奮しながら、聞いたさ。どうしてこれが?ってね。すると、一人の神父さんが、こう言った。『よく分からないけど、昔からあったものです』って。よくその絵をみたら、その憎たらしい有名な画家のサインが描いてあった。間違いなく、あれは付け足したものじゃなかった。」
「・・・。」
「・・・・僕の絵は偽物だったってわけさ。」
どっと疲れたようだった。一人の若い人間の男は、ふーっと息を吐いた。
「馬鹿な話さ。偽の絵で、こんなことになって。有名な画家って言うわけで、こんな大きな騒ぎになって・・。」
一人の若い人間の男は、何も言わず俯いた。
ナヴィは黙っていた。
ソロは黙っていた。
「本当に何にもない絵だったのに・・。」
ナヴィは黙っていた。
ソロは黙っていた。

「じゃあ。なんとなくすっきりしたよ。」
黒いバイクにまたがって、ゴーグルをかけた一人の若い人間の男が言った。
「でも、あんな安くっていいのかい?」
「ええ。なかなか興味深い話でしたから。」
「うん。おもしろかった。」
ナヴィの両手には、ソロが握られていた。
一人の若い人間の男は、エンジンをかけた。うるさい音が何もない草原を響かせる。
「一つ訊いても良いですか?」
「なんだい?」
「その本物の絵と、あなたは、それからどうしたんです?」
「・・・どうもしてないさ。ただあの国にいられなくなって、いやあの国が嫌になって、僕はこうして無一文で旅をしている。何もかも嫌になって、何もかも信じられなくなった。人間はよく分からなくなった。その絵もどうなったか分からない。あの時教会は気付いていなかったから、どうもしていなかったけど、今は分からない。またオークションを始めたのか、ずっと飾ってあるのか。」
表情は、夕暮れの光が、ゴーグルを反射していてよく分からなかった。
「今の僕には関係ない話さ。」
「そうでしたか。ありがとうございます。」
ナヴィは微笑んだ。一人の若い人間の男は照れた。
「いやぁ、どういたしまして。・・じゃあ。」
「さようなら。」
「んじゃねー。」
一人の若い人間の男はアクセルを開けて、速いスピードで草原をかけていった。

「ねぇ、ナヴィ?」
「なぁに?」
ナヴィは、髪を束ねていた紐を解いた。解いて、机に置く。
ナヴィは、服を着替えた。群青色のパジャマだ。
「今度、絵でも買ってみようよ。」
「何かあるかもって?」
「そうそう。ひょっとしたら値打ちのある絵が転がっているかもよ。」
ナヴィは、苦笑した。
「やめとく。」
「そうだね。」
ソロも同意した。
ナヴィは空を見た。夜の深い闇に星屑が撒かれていた。
「綺麗だね。」
「だね。」
「・・きっとこの星空の美しさは、永遠に変わることが無いんだろうね。」
「でもさ。」
ソロが、言った。
「あの絵って結局は一枚の絵だったんだよね。有名な画家であろうがそうでなかろうが結局ただ一枚の絵だったんだよね。」
「そうね。私は私。ソロはソロ。その絵はその絵に過ぎなかったんだろうね。」
ナヴィとソロは、少し黙った。
遥か向こうにある星々は、静かに瞬いていた。その真ん中で三日月が、大きく輝いていた。
「綺麗だね。」
ナヴィが、再び言った。
「そうだね。人間よりよっぽど綺麗かも。」
ソロが、楽しそうに言った。ナヴィが微笑んで言う。
「かも、じゃなくて綺麗なのよ。」
暗くて色がわからないカーテンを閉めた。窓辺にソロを置いた。
闇が生まれた。音のない闇が。
ナヴィは机に座り、スタンドの明かりをつけた。少し明るくなる。
そして、机の引出しにある分厚い店舗日誌を取りだした。
いつもより長い店舗日誌を書き終えた後、スタンドの明かりを消して、ナヴィはベッドに倒れた。
「手が痛くなっちゃった。」
「機械人形も痛くなるの?」
「そうだよー。私だって、こんなに長いのを久しぶりに書いたら痛くなるもん。きっと部品が擦り切れているのよ。」
「そうなんだ。――明日、お客さん来るかな?」
「いいや。二日続いてきた事なんて一度も無いからなぁ。」
「じゃあ明日暇だね。」
「そうかも。――さて、もう寝るね。おやすみソロ。」
「お休みナヴィ。」
「お休みクララ――。」

それから少しして子犬のぬいぐるみを抱いた一台の機械人形と、一つのカクタスが眠った。

スカイブルー 〜開店休業中〜